「7月22日ロータリー」とよばれる由来とは
「7月22日ロータリー」とは、チャイタウンのちょうど中心部にあるロータリーのことを指します。
この7月22日とはヨーロッパ全土が参戦した第一次世界大戦で、当時の国王ラーマ6世は連合国の要請にこたえるべく1917年7月22日に参戦を決意したことに由来しています。
それを記念すべく、かつてはチャルン・クルン通りの北側にあった通りを7月22日通りとよばれていました。
しかしその通りに大きなロータリーの開発が進められ、それが現在の「7月22日ロータリー」とよばれる経緯となっています。
アクセスはフアラムポーン駅から徒歩で約10分の場所に位置しています。
周辺には特別に近くに観光スポットのメインとなるようなものはないものの、チャイナタウンに近いことから少しの空き時間を利用してぶらりと訪れるのには最適なスポットです。
バンコク市民の憩いの場として親しまれている「7月22日ロータリー」
ロータリーにはたくさんの緑が溢れており、噴水がとても清涼感のある光景を織り成しています。
周囲にはたくさんのビル群がありながらもここだけはどこか落ち着いた雰囲気に包まれています。
中には噴水で水遊びをしている地元の子供たちもおり、チャイナタウンの中心部にあることもあり、中華系の人達が多く行き交っています。
ただしロータリ―にはあまり日陰になるところがないので、日焼け対策は必須といえるでしょう。
かつて日本人が多く利用した安宿が残されているレトロな雰囲気
またこのロータリ―近くにあるかつて注目を浴びていたホテルといえば「ジュライホテル」とよばれる安宿です。
この宿はバックパッカー御用達の宿として、日本人も多く利用したことで知られている宿です。
リーズナブルな宿泊費でありながらも、部屋が広く交通の便がよいこともその人気の理由といわれていました。
しかしながら盗難など警察沙汰になることも多く様々なうわさが囁かれて、1995年に閉館したホテルです。
十年ほど前まではその古びた建物も残されていましたが、今ではその建物は取り壊されてしまっています。
しかしながらここ7月22日ロータリーのシンボルであったことは、今でも広く伝えられています。
またこのあたりには古くからの旅社も多く軒を連ねています。
安い宿がたくさん集まっていることから、1990年代までの日本人旅行者はまずはここを目指すことが多く、その名残が今も街の中に残されています。
当時の面影はロータリーからまっすぐ東へ延びるサンティハーブ通り沿いに続いています。
特に中でも有名なのが谷恒生氏の名小説「バンコク楽宮ホテル」の舞台になった楽宮旅社です。
今は閉鎖されてしまっていますが、その古びた看板だけ残されており、どこか時が止まっているかのような静けさに包まれています。
建物1階の北京飯店は今も営業しており、日本語のメニューがあり、日本料理などもなども提供されています。
北京飯店には日本語のマンガや雑誌などもあり、かつて日本人が多く利用していたことを伺い知ることができます。
どこか昭和な雰囲気の漂うこのエリアは、かつてのバックパッカーが懐かしそうに訪れることも多く、シニア世代を中心に再訪する人も増えてきています。
観光の注意点とは
このロータリー周辺は交通の要であることから、交通量が多く、観光をする際にはよく注意するようにしましょう。
特にスピードを非常に出している車も多く、道路を渡る際には特に注意が必要です。
また夜になるとロータリー周辺は非常に治安が悪くなるので、不要に近づかない方が無難といえます。
時には麻薬の密売なども行われているともいわれているので、観光をするのであれば昼間の時間帯がお勧めです。
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